ル・コルビジェを巡る旅 建築ツアー 4 成田空港
いよいよ、当日を迎え成田空港から
フランス(パリ空港からニース空港へ乗り継ぎ)へのフライトである。
2016年3月9日(水) 10:00集合
取りあえず、集合場所は、第一ターミナル北ウイング4階
Gカウンター11番前 であった。
エールフランス便 AF-275便 (12:10発)
である。
前日に、国内線の乱れで、羽田空港着の時間が
遅れ、羽田空港から成田空港までのリムジンバスも
連動でおくれ、宿泊ホテルに着いたのは、
夜の11:00ごろであった。
出向前から、疲れがでた。
取りあえず、その辺の写真を載せる。
ザハ・ハディドさん 死す 毎日記事
今回、ヨーロッパのツアーで、ザハ氏の建物を
外観のみと、内外部共の2施設を視察してきた。
新国立競技場の白紙撤回の時には、
他人ごとのように自分では処理していたが、
視察後は、急に親近感が湧き出て来たので
急遽、この記事を載せた。
その建物は、今回のツアーの一部で後で紹介するが、
2建物を視察してきた。
享年 65歳。 まだまだ若くして亡くなった。
合掌
黒川紀章 秋田県にかほ市 白瀬南極探検隊記念館 毎日記事
先日、NHKのテレビで白瀬中尉に関する番組が放映されていた。
やはり、当時としてみれば、とんでもない冒険であったらしい。
建物は、20年くらい前に一度、見ているが、
正直、施設の管理体制などに問題があると思い、
良い印象は無かった。
それから、平成の大合併があり、施設管理体制も
変わったと思うから、また、寄ってみたいと思っている。
その番組では、冒険に費やした費用を捻出するために、
帰国後、南極で撮影したビデオを全国各地で講演してあるいて、
借金を返済したらしい。
同じ、秋田県人として「すごいなあ」と
思わざるをえない。
建築家 白井晟一設計 旧雄勝町役場解体 毎日新聞記事
白井晟一設計建物が、一つ、解体されるらしい。
自分が、40年前に、この「建築」の世界に入り込むように
なってからは、白井晟一氏は、建築界の特殊な存在であったので、
大変に興味深く建築雑誌などを見ていた。
特に、秋田県内には設計した建物が多いということで、
いろいろ実物も見学していた。
当時の自分が、その建物から感じたのは、
見えない力みたいな、異様な雰囲気を
感じとっていたのを思い出す。
白井晟一氏のファンは、まだまだ多いので
残念に思っている建築家も多いと思う。
「木」のはなし 北羽新報 記事
秋田県立木材高度加工研究所 所長 林 知行 先生の記事である。
この内容からすると、建築基準法の木造限界である、
「最高高さ13m、最高軒高9m」というのは、
「当時の経済の摩擦を軽減するための、非関税障壁以外の何物でもない」と、
言いきっている。
ようは、貿易摩擦が元で、安い「外材」が輸入された、との
ことである。
木造建築限界範囲は、木材強度ではなく、世界経済の影響で
法律までもが、変わる、ということである。
また、先日、テレビ報道であったが、「都内では、宿泊数が絶対に足らないので
宿泊施設については、容積率を増やして、対応する案が確定した」との
ことである。
詳しいことについては、まだ明記が無く解らないが、他の条文についても
変更しなければならないのではないか?と思っている。
以前にもブログで書いたが、このようなことを目にすると、
「TPP」が導入となれば、国産材は、もっと打撃を
受けることになるのではないか、と心配している。
第一次産業である日本の資源、また、それに伴う林業の技術の
継承・文化などを大事にしたい。
ル・コルビジェを巡る旅 建築ツアー 3 理念
皆さまもご存じとは、思いますが、
ル・コルビジェの理念を記載する。
主な五原則としては、「ピロティ(Pilotis)」、「屋上庭園(Toits-jardins)」、
「自由な設計(Plan Libre)」、「自由な平面(Facade Libre)」、
そして、「横長の連続窓横(Fenêtre en Longueur)」」である。
ル・コルビジェを巡る旅 建築ツアー 2 略歴
ル・コルビジェの略歴である。
コルビジェ23歳の時に、グロピュースやミース・F・ローエとも
ドイツに渡り、ペーレンス事務所で一緒に仕事をしていた、とのことである。