柔構造について 内田祥哉先生の本で紹介
これは、以前に日本の木造建築について、第一人者である「内田祥哉」先生からの
依頼で記載された本を紹介する。
二ツ井町の「麻生会館」(結いっこに紹介)が記載されている。
本の題名は、「日本の伝統建築の構法」であるが、サブタイトルとしては、
「柔軟性と寿命」となっている。
安藤邦廣先生も言っているように、伝統的建築物と現代型建築物は、基本的に
地震力に対する考え方が違うのである。
伝統的建築物は、柱と梁の主要な軸組みで柔構造と免振構造で減振させる考え方だが、
現代的建築物は、壁倍率で剛構造で対応する考え方なのである。
したがって、剛構造の建物は、揺れをなるべく少なくして大地震に耐える構造なので、
建物は大丈夫だが、その分だけ建物内部の家具に直接に揺れが伝わり、家具の転倒や
テレビや冷蔵庫などの転倒や移動転倒に、相当な揺れエネルギーが生じることになる。
家は大丈夫ではあるが、家具や家電に衝撃的な力が作用するので注意が必要なのである。
伝統的建築物は、柔構造なので、超高層ビルの「揺らす構造」つまり柔構造と同様の
考え方なのである。
したがって、「棚に置いていた物も落ちなかった」と言われる所以は、そのような
ことからきているのである。
11月8日ごろのTV放映 安藤邦廣先生 萱葺き民家を語る
2週間も前の話でたいへんに恐縮だが、少し紹介することにした。
民放ではあったが、スペインのバルセノアに建設中であるA・ガウディが設計した
「サグラダ・ファミリア教会」の建築家(名前は記憶にない)と一緒に、飛騨高山の
「合掌造り」を説明しながら、日本の伝統的な建物や地域の住まい方について
非常に参考になる説明をしていたので、その内容を少し紹介したい。
「合掌造り(萱葺き民家)」の特徴
・裏山にある木材を大事に何十年も再利用しながら曲がり材なども有効利用して
使い切る。
・萱や葦は、1年で採れるが、木材は使えるようになるまでには、何十年も掛かる。
とくに、杉材などは、60年以上の高齢木がいい。だから、木材は大事であった。
・萱や葦の特徴を説明をして、いかに日本の「高温多湿」の気候風土にあっている
自然素材なのかを、ジュースなどを飲む「ストロー」現象で説明していた。
・居住しながら、囲炉裏で煙をたてながら暖をとるのは、屋根の防虫防腐の効果も
兼ねて暖をとることを理解していた。
・桁材から下の柱や梁組みは、専門職である「大工職人」に造ってもらうが、
小屋組みは、集落の住人で造り、そして屋根の「萱葺き」や「葺き替え」も
住人で造る。
・そのことによって、地域の一体感が生まれ、「結いっこ」精神で地域の共同体が
結ばれる。つまり、「まちづくり」の一環を担っている。
・小屋組みの「サス」と呼ばれる3角形を形成するための間伐材の縦母屋だが、
受け桁には、簡単な1寸5分角ぐらいのホゾ穴に入れているだけである。
それは、萱葺き造りは、「剛構造」ではなく「柔構造」であることを
説明していた。(つまり、現在の建築基準法の考えとは違うことを説明していた)
・小屋組みの接合部は、全て「縄」で縛られている。桁材までは、大工職人による
継手や仕口で「込栓」や「通しホゾ」などで造られている。
それぞれが、完全に「柔」接合なので、すれることで、地震力エネルギーを
減少させていることを説明した。
・そして、萱の葺き替えた「腐れた萱」だが、裏山に持っていき林の肥やしにする。
などの現在の環境問題に適していることの説明。
などなど、自分もいままで萱葺き民家を「9棟」調査をしてきたが、その通りであった。
自分も今までいろんな形で話してきたが、聞き入れてくれなかった。安藤さんがあのよう にテレビで放映してくれたのは、本当に助かった。
長野地震 太い柱で救われた
長野県北部で皆さまもご存じの通り、22日(土)の3連休の初日に夜10時08分に最大で震度6弱
の地震が発生した。
新聞報道(最後に貼付している「太い柱で救われた」)によると、重軽傷41人、倒壊家屋43棟で、
就寝していた時間であっても死者はいなかったようだ。テレビなどの崩壊状況をみるとあれだけ
家財道具が、グシャグシャになっていても死者がでなかったことは、やはり、
「共助(結いっこ)」であろう。もし、都心部であったならばどうであったろうか。
今回のこの地震でもいろいろ考えさせられる。
「震源は白馬村北の小谷村の青鬼(あおに)集落の地域。
青鬼集落は棚田の景観と伝統的建築保存地区で茅葺き民家が散在していることで有名なので、
古民家やまちなみなどに興味のある人は訪れたこともあると思う。
興味深いのは、青鬼集落の古民家にはあまり被害がなく、少し離れた場所で倒壊家屋が
多いらしい。」
この上の文面は、新建会員長野支部からのメール内容であるが、
この新聞記事にも記載してはいるが、ようやく一般記者にも認識された文面であるので紹介したい。
つまり、長野支部会員のメール内容による「古民家にはあまり被害がなく、—-」と、
新聞記事内容の「自慢の太い柱でどんな地震にも耐えてきた。だが、あっけなく柱を曲げ、
家を傾かせたが、全壊は免れて無事だった」であるが、
自分が、以前から言っているのは、このことである。
(今朝の朝日テレビでも同様の放映があった。)
つまり、阪神淡路大地震でもそうであったが、伝統的建築物もたしかに崩壊したものも多い。
だが、いろいろな調査結果から判断できるのは、建物は全壊はしたが、太い柱や梁の接合部
(伝統的継手)は部分的には健全であったので、全壊してもそこに3角形の隙間ができていたため、
空間ができて圧死しなかったのである。
(地震での死者は、建物やタンスや冷蔵庫の転倒による圧死が多い。)
当時はまだ、そのことに気が付く人は、我々専門職の中でも一部の人達だけであった。
だが、今回のこの新聞記事のように、徐々に一般にも認識されつつあり、「伝統的建築物」と
「太い柱や梁」は、無駄な要素ではないことが、理解されてきた。
一般的な木材と金物による金物接合では、全壊の時には、接合部が、完全に破壊(最後は、
金物が木材より勝って木を割いてしまい、柱と梁が炸裂する)してしまい、ペッチャンコになり
圧死するが、伝統的建築物は、木と木による木組み接合(伝統的継手)なので、全壊しても
家はペッチャンコにならず、太い柱や梁の周辺には3角形の空間ができ「人命」だけは守られたのである。
現在の木造の耐震(建築基準法)計算では、新築当時は十分にクリアしていても、経年変化により、
金物のボルトナットの緩み(築後2年位でナットは手でも回せる位にまでに緩む)や不朽など、
建物の維持管理が難しい建築工法では、どうだろうか。
少し、偏った考えかどうかは、皆さまの認識から判断していただくとして、
自分の考えでは、「自然の力は図り知れず、人力では敵わない。だから、自然の中に
住まわせていただく」と、いつも思っている。
自分が、伝統的建築物の設計で太い木材を使うことの基本は、
「建物は全壊しても、人命は守る」である。
山梨の帰りによった恵比寿駅周辺 ポケットパークⅠ
山梨の帰りに、東京都立写真美術館が恵比寿駅から、歩いてすぐの場所にあるのでいったら、
なんと、ポケットパークが、一つのデザインで、100mぐらいにわたってビルからビルへの歩道の真ん中に
永遠と繋がっていたので、紹介する。
自分も、今回、ポケットパークやモニュメントなどを手掛けていたので、特に気になって行き交う人の
目も気にせずに眺めていた。
普通、一か所に集中してデザインするものと思いきやなんと行けば行くほど連続性があって
面白かった。デザインは、誰だろうか?
どうもテーマは、素材の活用からディテールから、スフィンクスなどのエジプト系ではないかと思っている。
八ヶ岳 建物視察 12 安藤忠雄Ⅱ
八ヶ岳 建物視察 11 安藤忠雄Ⅰ
美術館である。
受付にいた人が、この建物を非常に誇りに思っているらしく、受付カウンターから出てきて、
建物の説明、また、コンクリート打ち放しにあるスリットの幅や長さや入場時と退場時に視線についての
詳細についても、自分の研究成果として自分なりの考えを説明した。
細かい説明は、有名な建築家なので皆さまの方が認識あると思われるので筆をおろす。