フェニックス ビルトモア ホテル F.L.ライト 5日目 1 1926
昼食を兼ねながら、このホテルを視察した。
外壁に使われているデザイブロックだが、6種類あるらしい。
内部空間は、帝国ホテルと比べ中央ホールの吹抜けの階数や大矢石などの材質は違うが、ホールやエントランスが吹き抜けでその2階部分が、回廊となっている雰囲気は、こんなものなのかなと思った。
最初に、エントランスホールの吹抜け写真一枚を「FRANK LLOYD WRIGHT IN ARIZONA」からの出典写真である。
フェニックス タリアセン・ウエスト F.L.ライト 5日目 1 1938
いよいよ、今日はタリアセン視察である。相変わらず砂漠地帯なので青空だらけでジリジリ暑かった。
道路信号に「タリアセン」とある。周辺には人の住んでいる気配はなにもなく、サボテンと石ころと土だらけである。国道から細い市道?に入って500mぐらいで、到着である。
だが、頭に描いてあったタリアセンらしき建物が見えてこなかった。どうも、風が強いので防風のために一段低い場所に建てられてあったので、写真のように一部屋根しか目に入らなかったのである。
タリアセンは、F.L.ライトの自社事務所で使われていたのは、ご存じの通りである。でも、タリアセン・イーストもある。F.L.ライトは、冬と夏の季節差を利用して所員とともに、半年ごとに移動しながら仕事をしていた、とのことである。所員が増えれば、事務所を自分たちで同スパン・デザインを増築しながら、過ごしていた。
三沢先生によると、当初からの「タリアセン」でなく部分的に仕上げ材などが変わっているらしい。
この建物ができて、約80年が経過している。何度も書くが降雨が少ないので、日本の気候風土とは、切り離してディテールや木の使い方などを見なければならない。
建物が、広大すぎて、全体の内部や外部は見たものの自分の頭の中では、未だに全体プラン構成ができていない。
巡回視察方法も案内人付きで、後戻りやもう一度見ることも厳禁で、一度、次の場所に移動すると前の場所には戻れず、まして時間制限で、ただ、連れて行かれながら説明を聞いて見学コースを外れることなく素直に回るのみであったので、自分で構成する時間やフィールドバックする時が無かったからかもしれない。
もっとも、現地案内人は 日本語では説明しないので部分的に三沢先生が通訳したものの要所しか理解は出来ていない。 視察時間は、約1時間であった。
写真の中に、池や噴水はあるが、観光地化されすぎてから造ったもので、当初からはあるはずが無い。
また、芝生もあるが、砂漠地帯なので散水栓で生息できているのであって、当初からの設備ではないことは直ぐにわかる。
最初に、「FRANK LLOYD WRIGHT IN ARIZONA」からの出典写真である。今日から、3回に分けてブログに載せる。
写真のサボテンだが、大きく成長してから枝にあたる部分が出てくるのだそうだ。その枝部分にあたるサボテンの芽がでてくるまでにには、60年ぐらい経過してからでないと出てこないらしい。
したがって、写真右側のサボテンは、100歳以上になるだろう。
フェニックス デビット・ライト邸を有志で視察 F.L.ライト 4日目 5 1950
この最初の住宅写真は、「FRANK LLOYD WRIGHT IN ARIZONA」からの出典である。
夕方というか夜というか、8時ごろの写真なので、写真全体が非常に暗く写っている。
道路には、フェンスが張り廻らわせてあり、アングルも多くは撮れなかった。
フェニックス プライス邸を有志で視察 F.L.ライト 4日目 4 1954
教会を視察したあとに、住宅を回った。
教会から、車で10分ほどの場所である。
最初の車窓からの夕日写真で染まった赤い岩山(ピンボケですみません)であるが、50年ほど前のテレビには、よくアメリカ番組でインディアンと白人兵隊との銃撃戦などのドラマが放映されていて、その時のテレビ画面を思い出した。
砂漠地帯の岩山をロケーションにして、馬に跨って追い駆けたり、砂埃を利用しての戦いであったり
の一場面である。 ん、たしか「ローレンジョー」という番組名ではなかったか、と思うが、間違っていたらすみません。とにかく、岩土の色が赤々と映えていて初めて目にする光景であった。
この最初の住宅写真は、「FRANK LLOYD WRIGHT IN ARIZONA」からの出典である。
以前にも書いたが、とにかく、不審者には、特別注意国なので、敷地には入れないず自分の写真は遠くからの写真しか撮れなかった。だからといって、部分写真などからまったく建物全体が把握できないので、最初にこの写真を出典した。とにかく、敷地が広い、広大である。
フェニックス 教会を有志で視察 F.L.ライト 4日目 3
フェニックスは、元々は、インディアン部族の領地であった。現在では、その土地を基にしてインディアン部族も不動産を活用しながら豊かな暮らしをしているとの事である。
道路ぞいには、インディアンの民芸品や料理などの店が連立していた。
フェニックスは、新しく造成された都市で白人しか住めないらしい。したがって、治安がいいので
高級別荘地が多くアメリカ全土から富裕層の人達が集まっているので、あこがれの都市である
とのことである。
飛行機からの写真だが、アリゾナ州だから砂漠地帯である。また、新しい都市なので碁盤の目の
ように道路がはりめぐっていた。一部では、画一化された都市の中に、人工的に曲線で造られた
道路や建築物が配置されていて、周辺全体が、豊な都市空間となっていた。
車窓からの建物物である。木造の5階建てである。ジョイント部には、プレートが見えた。
F.L.ライトの教会である。夕方5時には閉館になるらしく内部には入ることができなかった。
隅屋根のギザギザ部分にはステンドグラスからの自然光が入りこみ、教会内部に写っていた。
ステージの壁もステンドグラスからの自然光である。
左写真は、ガラス越しに撮ったしゃしんで、右側が、「FRANK LLOYD WRIGHT IN ARIZONA」
からの出典である。天井やステージのステンドガラスから太陽光が入り込んでいる。